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札幌地方裁判所 昭和41年(タ)25号 判決 1968年8月20日

原告 馬渕すみよ(仮名)

被告 朴英秀(仮名)

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告との間の長男朴恭礼(昭和二六年三月一三日生)、二男朴周(昭和三一年一月七日生)の監護者を原告と指定する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として、

(一)  原告は日本の国籍を有する者であり、被告は中華人民共和国(以下中共という)の国籍を有する者であるところ、原告と被告とは昭和二五年四月一六日当時○○大学教授であつた豊田栄一郎夫妻、同山本精吉夫妻の媒酌で結婚式を挙げて、札幌市○○西一丁目竹内方において夫婦として同居し、同年一〇月三一日婚姻届をなし、右両名の間には翌二六年三月一三日長男朴恭礼、同三一年一月七日二男朴周がそれぞれ出生した。

(二)  被告は結婚当時○○大学農学部の学生であつたが、昭和二六年三月右大学を卒業し、礼幌市内で喫茶店を経営していたが、同年一二月初旬原告および長男朴恭礼を同伴して帰国し、一たん北京の「帰国留学生招待処」に親子三人落着いたが、約六ヶ月して○○附近の国営農場、蘆大、○○の農業科学研究所で働き、ついで昭和三二年三月武漢の国営農場に転任した。

(三)  被告は前記のとおり、帰国後中共の各地で働いていたが、昭和三八年九月初旬再び日本に渡航するため原告および長男朴恭礼、二男朴周(帰国中北京で生れる)とともに香港に渡り、一たん同所○○○○道に落着いたのち、原告に対し、先に日本に渡つて住居および職を定めて連絡すると言い残してそのころ単身日本に渡つた。しかしながらその後被告からは生活費の仕送りは勿論、何ら連絡がないので、原告はやむなく同年一二月末右朴恭礼、朴周を連れて日本に戻り、札幌市内に居住したが、その後現在に至るまで被告からは全く連絡がない。原告には、このように原告および幼い子二人を置き去りにして生活費すら送らない被告との婚姻を継続する意思は全くない。

(四)  なお、法例一六条によると離婚はその原因事実の発生した時における夫の本国法、すなわち本件については中共の婚姻法によるべきであるが、中共はわが国と国交がないため、権威ある方法により中共の婚姻法を知ることが出来ず、かかる場合には日本民法を適用すべきであつて、前記事実は同法七七〇条一項三号に該当するというべきである。又仮に右の如き場合に中共の婚姻法を適用すべきであるとしても、中共においては男女の一方が強く離婚を要求する場合は政府機関において調停を行ない、その効果がない場合は離婚判決を行なうべきものとされているものの如くである。従つて現在原告が強く離婚を決意している以上、中共の婚姻法をもつてしても本件離婚請求は認容されるべきであり、かつ前記事実は日本民法七七〇条一項二号にも該当する。

(五)  よつて原告は被告との離婚を求めるとともに、原告と被告との間の未成年の子長男朴恭礼、二男朴周の監護者を原告と指定するよう求める。と述べ、

証拠として甲第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一、二、を提出し、証人馬渕一政の証言並びに原告本人尋問の結果を援用した。

被告は公示送達による適式の呼出しを受けながら本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

当裁判所は職権により鑑定人欧竜雲に鑑定を命じた。

理由

一、まず、離婚請求の当否について判断する。

(一)  方式、趣旨に照らし真正な公文書と推定すべき甲第一号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第二号証の一、二、同第三号証、同第四号証の一、二、同第五号証の一、二、証人馬渕一政の証言および原告本人尋問の結果を総合するとつぎの事実が認められる。

1、被告は中国安東に生れ、昭和一九年公費留学生として日本に渡来し、○○大学農学部に在籍していたが、原告と知り合い、昭和二五年四月一六日中国の慣習に従い、二組の夫婦の媒酌により結婚式を挙げて、札幌市○○西一丁目竹内方において夫婦として同居し、同年一〇月三一日婚姻届をなし、右両名の間には翌二六年三月一三日長男朴恭礼、同三一年一月七日二男朴周がそれぞれ出生した。

2、被告は昭和二六年前記大学を卒業し、札幌市○○西三丁目において喫茶店「○○○○」を経営していたが、同年一二月初旬中共へ原告および長男朴恭礼を同伴して帰国し、一たん北京の「帰国招待処」に親子三人落着いたが、約六ヶ月して○○の近くの国営農場に移り、そこで約一年間働き、更らに○○の農業科学研究所に入り、そこで昭和三三年まで働き、その後武漢の農場に転任した。

3、原、被告は双方とも性格が強く、又国籍を異にすることなどから結婚当初から喧嘩が断えなかつたうえ、中共における生活が苦しく、それが夫婦の不和に輪をかけるので、日本に戻ることによつて夫婦仲の好転することを期待し、昭和三八年九月ごろ再び日本に渡来すべく、長男朴恭礼、二男朴周(帰国中北京で生れる)とともに香港に渡り、以前から知り合いの大川秋則方に身を寄せたが、間もなく被告は、原告に対し先に日本に行くが後に連絡すると言い残して原告らのもとを立ち去り、それ以来被告の行方は不明となつた。原告はその後被告から生活費の仕送りは勿論、何の連絡もなくそのうえ二児を抱え、生活費にも窮するようになり、やむなく同年一二月末二児を連れて日本に渡り、二児とともに礼幌市内に居住した。

4、以来原告は幼な子を抱え、実父の援助などによりどうにかその生活を維持しているが、被告から生活費の仕送りもなくその所在さえ判明せず、原告が武漢の以前の住所地宛に手紙を出したところ、前示甲第五号証の一、二の封書(一九六六年五月二九日消印、被告の住所中華人民共和国武漢市○○北路新三棟二楼六号と記載のもの)の便りがあつたのみで、その後同地に連絡しても何の音沙汰もなく全く音信が断えたまま被告と別れて以来既に約五年を経過し、原告は現在において被告との婚姻を継続する意思が全くない。

以上の事実が認められる。

(二)  ところで、法例一六条によれば、渉外離婚の準拠法はその原因たる事実の発生した時における夫の本国法であるが、中国はかねてから中華民国と中華人民共和国(以下中共という)とに分れており、中華民国と中共はそれぞれ独自の法秩序を持ち、いずれも中国を正当に代表する政府たることを主張しているが、現実には台湾海峡をはさんで台湾と中国大陸とを各別に統治していることは顕著な事実であるから、本件につき分断された両支配圏内のいずれの法を本国法とするかについて検討するに、前記認定のとおり被告の出生地は現在中共の支配圏内にあり、中共政府が樹立して以後被告は永住する意思で家族同伴のうえ、その支配圏内に帰還し、一〇年以上の永きにわたつて国家機関などに勤務していることなど中共との間に特別の結びつきがあるのに比し、中華民国との間には特段の関係が存在しない。従つてかかる特別の事情が存在する本件においては中共の支配圏内に行なわれている法規が被告の本国法であると解すべきである。もつとも、わが国は中共を承認していないから、準拠法として同国の法律を適用することができるか否かにつき問題はあるが、国際私法上適用の対象となる法律はその法律関係の性質上その法を制定施行している国家ないし政府に対して国際法上の承認をしているものに限られないと解すべきである。そこで中共における離婚の許容性および離婚原因について検討するに、鑑定人欧竜雲の鑑定の結果によると、中共において離婚は認められ、離婚原因については中共における離婚に関する現行法(一九五〇年五月一日公布施行の婚姻法)一七条一項後段に「男女の一方があくまで離婚を要求し、区人民政府と司法機関の調停が効果のない場合も離婚は許される。」と規定されており、その実際の適用においては夫婦間の生活に破綻をきたしているか否かに重点がおかれていることが認められる。

これを本件について見るに、被告は未だ幼い二児を原告のもとに残したまま、所在不明になつたものであり、以来約五年の間原告らの生活については金銭の供与その他何ら適切な措置を講ずることなく放置しており、このような被告に対し原告は婚姻を継続する意思が全くなく、原、被告間において調停を行なうことは不可能であるというべきであるから、本件婚姻の解消は前記中共の離婚裁判の取扱理念に照し、容認されると解されるところ、右事実はわが国においても民法七七〇条一項二号にいわゆる配偶者から悪意で遺棄された場合に該当するというべきである。

(三)  よつて被告との離婚を求める原告の本訴請求は正当として認容すべきものである。

二、つぎに監護者の指定について判断する。

法例一六条、前記鑑定人欧竜雲の鑑定の結果によつて認められる前記中共の現行婚姻法二〇条ないし二二条によれば、裁判所は子の養育上必要と認められる場合には少なくとも親権に対して根本的な変更をきたすおそれのない監護者の指定は、これをすることができるものと解されるところ、前記鑑定(一の(一)の1ないし4)のような事情のもとにある本件については、原、被告間の未成年の子朴恭礼、朴周の現在並びに将来における正当な利益の保護のため監護者を指定すること、および監護者として原告を指定することが相当であると判断する。

三、よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 神田鉱三 裁判官 渡辺忠嗣 裁判官 小山三代治)

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